教育一般

ザビエル先生

英語教育についての対話そして事故

ザビエル先生ことF君が同窓会の帰りに事故死してまもなく1年になる。F君は,豊南高校や鶴城高校で長く英語を教えていて,生徒たちからは「ザビエル」という愛称で慕われていたから,ご存じの方も多いかもしれない。楽しく騒いだ翌朝,F君が交通事故で亡くなったという知らせを聞いて,出席していた同級生はみんなひどいショックを受けた。

彼が亡くなる数時間前,英語教育について対話をした。記憶をたどりながら,彼への哀悼を込めて,ここに書き残しておきたいと思う。

話はまず高校時代の恩師Y先生についての思い出話となった。彼も私も,Y先生の影響を大きく受けていて,教えるとき,知らず知らずY先生と同じ教え方をしているとお互いに苦笑した。Y先生は体調が優れないと言うこと,元気で長生きしてもらいたい。

次に英語教育改革の話になった。
学校で4技能をすべて教えるなんて不可能だ。小学校で英語を教えても,費用対効果を考えれば無駄だ。このあたりは私もF君も意見が一致した。私のような一介の個人塾の経営者が何を言っても相手にされない。教員がもっと声を上げなければ,文科省の迷走は止まらないと主張した。

「教員(公務員)というのはなあ,上から言われたことを忠実にこなすことが求められてるんだ」と,F君はトレードマークのひげをさすりながら言った。やれと言われたことをやるのが公務員だと彼は言った。

お互い酔っていたこともあり,また話そうと,再会を約して3次会へと流れていった。それがF君との最後の会話になることも知らずに。

「ゆとり教育」の時もそうだったけれども,有識者か何か知らないが,上の何十人かの議論で日本の教育が決まってしまう。教育界はもっと風通しをよくしないと,とんでもないことになるのではないか。日本の発展の礎は教育にあるのだから。F君のことを思い出しながら,改めてそう感じた。

英語教育改革や「ゆとり教育」については,また別の稿で,詳しく書いていくつもりだ。

最後にF君のご冥福をお祈りする。

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